スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

注目

場の理論(field theory):ゲシュタルトセラピーのご案内

  場の理論 「場の理論(field theory)」とは、ゲシュタルト心理学者のクルト・レヴィン(Kurt Levine 1890-1974)が、19世紀〜20世紀の物理学の発想をもとに提唱した理論です。 心理学って、伝統的には「欲求」だとか「葛藤」あるいは「トラウマ」といったもの(こと?)が、「個人の内面」にあると考えてきました。 たとえば「無意識に隠された願望」なんていうのもそうです。 他方、レヴィンは、「場(field)」という視点から人間の行動を説明しようとしました。 レヴィンは、人が何かを欲求したり、行動するのは、その人が置かれている環境や他人との関係性、つまりその「場」の影響によると考えました。 日本人は、もともと個人よりも「場」に動かされるところが大きいようなので、こうした発想は馴染みやすいかもしれません。 おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん かいしゃへいくと かいしゃいん しごとをするとき かちょうさん しょくどうはいると おきゃくさん おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん はいしゃにいくと かんじゃさん あるいていると つうこうにん テレビ番組にこんな歌がありましたが、場とか関係性によって、その人のふるまいとか感じ方はずいぶん違います。 「じゃあ本当の私はどこ?」 みたいなことを考えてもいいのですが、ここはむしろ、 「私っていうのは場とか関係性においてその都度、生まれては消えていくような現象だ」 と捉えてみる方がいいかもしれません。 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといつしよに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち その電燈は失はれ) こちらは、宮沢賢治の『春と修羅』の一節です。 「わたくしといふ現象」とあるように、賢治は「私」は実体というよりは「現象」であると捉えています。 ゲシュタルト療法でも、「プロセスとしての自己」「自己は(内面ではなくて)境界に生じる」という発想があります。 ベトナム出身の禅僧ティクナット・ハンは、人間というのは「interbeing(間に存在するもの)」だとしました。 仏教でいうところの「縁起」や「空」からみると、この宇宙にあるものはすべて相互に依存

最新の投稿

ダイアローグ(対話)とゲシュタルト療法

ゲシュタルトセラピーのご案内

ゲシュタルトセラピー芦屋2022年10月29日

第三回「CFOをアップデートするーゲシュタルト&リフレクティング」の会@Zoom

「ゲシュタルト」とは–ゲシュタルト療法のキーワード

第4回ゲシュタルトセラピー@大阪天正寺

日本ゲシュタルト療法学会(JAGT) 第12回大会 (2022年7月16日~18日)

ゲシュタルトセラピーin芦屋

グループセラピーにおける11の治療的要因

参加された皆様の感想(第二回ゆるゲシュオープンの会)